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Our Story
京都、八坂の地に導かれ、八坂の塔の真下に「高麗ギャラリーカフェ」を作り、
高麗の看板が立ち今年で9年目になります。


高麗恵子 記2018年6月

2008年京都文化博物館にて

「大地の声」を開催した時、針の先の穴程の光が地に届き、古の都に眠る祖先の魂に出会う経験をしました。凍てつく寒さの冬の寒い夜でしたが心の内に雪解けの香りがし、早春の風が吹いていました。中学の修学旅行にて初めて訪ねた地であったのに懐かしさに胸動き震え、号泣するという自分では理解し難い経験をしてから足繁く京都に通い続けていた頃吹いていた風と雪解けの音でした。

2008年5月、京都文化博物館にて私の心模様作品展を開催する運びとなりました。内面の豊かさ、美しさを表す心模様作品展は日本では京都にて初めて開催する事になりました。作品展も連日大盛況となり、日本各地から沢山の方が京都にお越し下さいました。同時に開催予定でありました京都での「高句麗伝説」コンサートは、作品展開催中に完売となり、すぐに決めた追加公演も完売となり2回追加公演をさせて戴く大きな動 きが起こりました。

Info

2008年5月20日〜23日 京都文化博物館ににて初めての「高麗恵子心模様作品展」開催。


「みんなの生命輝き、より光輝く空間となった作品展会場。最終日は入場者数500人を超えました。 美しいこと、この上ない世界に心から感謝申し上げます。」

2009年

東アジアがひとつになる事を願い続けてきた幼い頃からの気持ちに火がつき、実現に向け動いていきたい気持ちでいた時、京都へと導かれたのです。偶然通りかかった八坂神社の境内に入った時、梅の花がほころび始めていました。引き寄せられる様に梅の木の下に佇み、梅の花の香りに包まれた時、大地からともなく、空間からともなく「ここに高麗を…ここに高麗を…」と聞こえ、私の胸は深く動きました。ふと顔を向けた時に見えた坂道の光景は古の光景でした。胸の内でここを知っているという懐かしい感覚があり、懐かしい感覚を辿っていくと、祖先の魂に出会ったのです。


高麗恵子詩集より

「麗花」は、高麗恵子さんが10代の頃に書かれた詩を、斎藤克哲さんが編集・構成し、 いだきしん氏が撮影、音楽制作をされた、詩集とDVDによる作品です。
19才 秋
鴨川べりを歩く
父も歩いたであろう
この川の風情が
妙になつかしく
昔を思い出す
お父さん と語りかけ
歩く 鴨川の夕暮れ
私には この今の瞬間よりない
街を歩き 電車に乗る時
虚しさのみをひきずり
どう生きていいのか
わからない
古都の旅 京都にて
秋の青空の下
両手を広げて
うたいます
花の妖精が
軽やかにおどっていくのです
広い広い野原の中
はてしなく続くようにと
はかない雲だけを
見つめて眠るのです
風のささやきが
とってもやさしく聞こえます
秋の陽の中
川のほとりにたたずみ
ただ目を閉じ
あなたを待ちます
清水からの夕陽がみたくて
清水からの夕陽がみたくて
夕方 京都に辿り着く
春の夕暮れ
木の香りと
花の空気に包まれ
夕焼けをみる
先は希望を感じつつ
今の現実の空しさは
隠すことも消すこともできない
不安の方が強く
雲をくもらせ
とぼとぼ歩く
京の坂道

10代の頃、

足繁く京都に通い続けた時、最初に訪ねた場所が八坂神社でした。今思えば先祖の縁によって八坂神社を訪ねていったのだとわかります。そして1ヶ月も経たない内に再び八坂の地に導かれ、八坂の塔の真下に高麗ギャラリーカフェを作る運びとなる出来事が起こったのです。

八坂の塔は、聖徳太子の夢のお告げで御建立されたと記されています。先祖高句麗の歴史が書かれている書物にて、八坂の塔は高麗族の繁栄を物語ると書かれていたり、高麗族の八坂氏の居住区であったと記されています。そして、聖徳太子について記されている書物にて聖徳太子の母方の祖母が高麗姓であったという事も記されていました。先祖の深い縁によってここに高麗の看板が立ったのだと受け止めています。

高麗恵子


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